わからん

数理論理学の本はわかりづらい。そもそも一般の数学書の形式(定義.XXX命題.YYYみたいな形式)にのっとってないものの方が多い気がする。つまり、どちらかというと一般の読み物っぽくて、本で使う語用法も一切整理せず、煙に巻いてわざとわからせないようにしてるんじゃないかと疑ってしまうような数理論理学の本が多いと思う。

数理論理学といったら数学の論理を扱う学問じゃないか。それなのにterminology(語用法)を蔑ろにしてしまったら、次々と導入なしに新しい言葉がわんさか出てくるわ出てくるわで、著者はそんな本誰が理解できると思っているのか。

俺は哲学者が嫌いだ

哲学者が嫌いだ。哲学者の(本の中での)変な口調が嫌いだ(いや、よくよく考えたら嫌いではないまあまあ面白いと思う)。いらん哲学をありがたがっている様子が胸糞悪くて嫌いだ。 あと哲学という用語が嫌いだ。哲学は学問の出がらしだ。残りカスだ。哲学という用語の漠然さがもおおおおヤバイ。いい哲学は哲学じゃなくなった哲学だけだ。

実はそんなに嫌いじゃないかもしれない。ただ哲学者を見るとムカムカする。例えば夏目漱石のこころに出てきたK、何故大学生にもなって哲学のいらんさがわからんのじゃと思う。 そもそも哲学者は何がキモチよくて哲学やってるのかわからない。

哲学のいらんさがわからん奴に数理論理学が侵略されてると思うと腹が立つ。いややはり腹は立ってないかもしれない。 だがしかし数理論理学は哲学チックな匂いがあるとはいえ、哲学ではない(?)のだ。むしろコンピュータサイエンス系っぽい学問だ。

例えば、数学の基礎付け。

基礎付けというのは、正直説明が難しいが(いやそんなことないかもしれない)、数学でやる議論を厳密に行うために、推論の根拠(基礎)を余すことなく、前もって宣言(付け)しておく、といったことだ(と思う)。 ホラッ将棋があるだろう。将棋が。例えば将棋では対局を厳密に行うために、将棋のルールを守らないといけない。将棋のルールを破って歩兵を敵陣にぶっ飛ばしたりだとか駒を合体させたりだとかしたら、ただたんにルール違反となる。ゲームを厳密にやるためにルールを定めておくのは、数学を厳密にやるための基礎付けと同じノリのものなのだ。

説明するのはめんどくさい。やめよう…ただ、そうした数学の基礎付けをやるCoqなどのソフトウェアがあることを知ってほしかったというノリだ。

数学基礎論講義がわからんかった。勉強させてもらってる時分、愛憎入り乱れた気分である。